森井プロフィール

国家公務員として29年間勤務し、コーチングのコーチとして活動することを決意して退職し今に至ります。

在職中にコーチングを知り、本に書かれていることを頼りに自分自身の答えを探す日々。
退職後、コーチングを学ぶ中で気づいたこと。

コーチングを私自身が受ける中で気づいたこと。について書きだしてみます。

子どものころの私は、すごく人見知りだった。
だけど親しくなった子とは仲良くできた。ご近所の子どものほとんどが男の子。あまり話をしなくても、遊ぶ中で仲良くなった。
おままごとよりも草野球やキックベース、ドッジボールが好き。秘密基地を作ってワクワクした毎日。
小学校のころは外で遊べば、日が沈むまで家に帰らない。夜ご飯を食べろとよく怒られていたっけ。
小学校2年の夏休み、海水浴帰りに家族ごと交通事故に遭う。
人生の機微に通じた出来事。「苦さ」でしょうか。

そのころから「早く大人になりたい」と思っていた。
「冷静な判断ができる大人」へのあこがれ。
私のその後の人生の価値観・死生観に影響を与え続ける出来事。

高校生17歳の夏の初め。父が職場を退職したことを家族に報告。
進学はできないなあ。と思いクラス担任の先生に相談。
先生は表情を変えずに、「公務員の模擬試験があるから受けてみて、それから考えよう。」とその場で言った。私は「なるほど」と思う。
あの時、担任が表情を変え、大げさな反応をし、別の言葉を掛けたらどうだったのだろうか?と時々振り返る。

『就職氷河期』進学しても就職できるかわからない。そんな時代。
全国にどんな公務員があるのかを、街の小さな書店で買い求めた本で調べ採用試験の日程を確認し採用試験の申込先を3つ決め申し込む。
進路について誰かに相談した記憶はない。
面接試験を受けるとき「赤面症(あがり症)」だった私は、お守りに「スラムダンク1巻」を鞄に忍ばせ面接会場へ。緊張しないように・・・。

山に囲まれた盆地で育った私が、男性が多い職場を選び、なぜ「船に乗る」仕事を選んだのか。
合格が決まり進路を父に伝えたときは反対された。

公務員試験の受験先を決めるまで、この進路はまったく考えていなかったこと。

小学校の時の交通事故が影響したことに気が付いたのは働き始めてずっと後のこと。
就職して20年が過ぎたころ、私は海水浴に向かう家族連れに対し、「お家に着くまで、事故なく帰ってね!」とティッシュを配りながら啓発をしていた。

そのときにふと、
「ああ、この言葉をかけるためだったのか」と心の底から納得した。

夏が終わり、忘年会のころその時一緒に働いていた上司や同僚、後輩にはそのことを打ち明けた。

そのことに気づいたとき両親はすでに亡くなっていた。